近頃車を運転することがストレスで仕方ない。首都高から高速道路に入ればそれは話は別なのだけど自転車を移動手段とし、そんなに移動する必要も無くなったのでたまに車に乗ると、なんて不自由なんだと思う。
家族で杉並区の和田堀公園に行くということになり、わがままを言って自分だけ自転車で向かうことに。
善福寺川に沿って井の頭公園から方南町方面にずーっと行く。善福寺川は割ときれいだ。
川と住宅の間に無理やり道を作っているので人とすれ違うことのできないくらいの道を自転車で行く。スピードも出せないし、民家の庭から巨木が突き出ていたりして途中まで行って引き返さなきゃいけなかったりするのだけどその不便さゆえ自転車はおろか人すら歩いていないのでほとんど死んだ道となっている。
でも路地とかそういう日陰の印象ではなくてあくまでも川沿い、太陽ピカーン。真昼間に街が死んでいるような錯覚に陥る。
川から一本ずれ、住宅街を行くと民家のガレージにみっちりと焼き物が並べられていた。
数名のマダムたちが静かに談笑している。
スピードを出していたから残像しか見えなかったのだけど、気になったので引き返すと私に気付いたマダムの1人が帰ってしまった。
悪いことしたな、とおもいつつそれらの陶器を物色していると変なものが多い。妙な模様が描かれていたり、彫刻が施されていたり。ぐにゃっとまがっていたり。変なの多いなあいいなあと思ったのでその中でも最も妙な感じの湯のみを買うことにした。
会計のついでに(ついでと言ってもこれが主たる目的なのだけど)話をする。
これは一体、とたずねるととっても静かに「私たちはみんな素人なんだけど色々と実験しながらやってて、この私の家に集まって焼いてます。」と。ものすごい量があったのですごい人たちだなと思ったらコロナで自粛していて2年ぶりにこの小さな陶器市を再開できたと言っていた。
外には出していなかってけど彼女たちは作り続けていたんだなあ。
とてもいいのがあって、これはどういう人が?と聞くと先生が、と言って1人のマダムが手のひらを向けた方に恥ずかしそうに下を向く婦人が。
そんな先生だなんて、私はただ色々試しながらみんなで一緒にやってるんです。みんなで、みんなで、を連発してて。
この女性は陶芸なんてやったことないのに、何かきっかけがあり始めてみたら、みんながなんか集まってきてこんな感じで静かに色々な実験を繰り返してきたんだな。と思う。
なんにせよ、彼女たちは、何かの退屈から抜け出すためにテレビにかじりつくことではなく土をみんなでこねる、という方法をとった。
私は再訪の誓いを立てて、とても嬉しい気持ちで自転車を漕いだ。
湯のみは1500円だった。
退屈との付き合い方
退屈から抜け出すために、私たちは何をするだろうか。
労働と生活の中に現れる退屈。
テレビにかじりつくだろうか、散歩をするだろうか、何か飲み食いしにいくだろうか、映画を観に行ったり、本を読んだり、ZINEを作ったり、絵を描いてみたり、ねんどをこねたり、友達を呼んでパーティーをしてもいいし、エキシビジョンを企画しても良い。退屈な時間をただ浪費するんじゃあなくて、退屈から抜け出すために何をするかは自由だ。
退屈は自分だけのもの。
でもなんとなく、テレビかじりついて退屈を埋めるのではなく、陶芸してみようかな、というその気持ち。
ずっと大事にしていきたいと思った。
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